ニュージーランド滞在中、隣町の牧場でファームステイをさせてもらったことがあります。
スコットランド出身のご夫婦が営む牧場で、牛や羊、鶏たちがのびのびと暮らしていました。
朝、農場主さんのバギーで牧場を案内してもらいました。丘をいくつも越え、端まで行くのに1時間もかかるほどの広さです。
走り出すとすぐに、草と土の匂いを含んだ風が頬を叩きます。エンジン音の合間には、鳥の声と羊の鳴き声が遠くから響いてくるだけ。丘の上では牛たちが群れて草を食み、見上げると遠くの草原に、雲の切れ間から光が真っ直ぐ差し込んでいました。
どこまでも続く緑と風の音しかない、静けさそのものの景色でした。

手伝いを始めると、服はあっという間に泥まみれ。
賢い牧羊犬と一緒に、羊を誘導して回りました。農場主さんの口笛ひとつで、犬は遠くから一気に駆け出し、号令とともに羊の群れを動かしていきます。
それまで草原のあちこちに散らばって自由気ままに過ごしていた羊たちが、彼の誘導でまるでひとつの巨大な生き物になったかのように、一つの意思を持った集団として動き始めました。
その光景を目の当たりにして、思わず息を飲みました。
どこに刺激を与えれば群れが動くのか、犬は完全に理解しているようでした。
くたくたになって戻ると、ホストマザーが焼きたてのスコーンを用意して待っていてくれました。
疲れた体に、香ばしい匂いがじんわりと染みていきます。出してくれたのは上品なカップ&ソーサーではなく、使い込まれたマグカップ。
それがかえって、心地よく感じられました。あの美味しさは、今でも忘れられません。
気取った優雅なティータイムではなく、大自然の中でいただく、飾らない贅沢な味。私にとっては特別なひとときでしたが、彼らにとってはこれが日常の風景なのだと気づかされました。
スコーン屋を始めるとき、私はそんな「日常に溶け込んだティータイムのひととき」を届けられる店になりたい、と思うようになったのです。